主任教授からのメッセージ

人体の構造を探求する解剖学は、医学の最重要の基礎であり、歴史的な出発点でもあります。人間の身体のあらゆる部位と器官と組織を対象とし、手と肉眼を用いた俯瞰から超ミクロの顕微鏡による分析まであらゆる方法を駆使して観察し、機能・個体発生・進化・臨床・社会・歴史などあらゆる文脈から構造の中に新しい意味を発見していきます。

ミクロの解剖学では、腎臓の糸球体を主要な研究対象としています。腎臓は不要な物質を尿中に排出するだけでなく、尿の生成を通して生命に不可欠な体液の恒常性を黙々と維持する誠実で責任感の強い臓器です。糸球体の足細胞(podocyte)など腎臓の細胞たちのそれぞれに独特で複雑で形状を、新しい顕微鏡技術で立体的に再構築したり、電子顕微鏡による観察と細胞骨格分子の局在から糸球体におけるミクロの力学を解明したり、さらにその個体発生や病的状態における変化を探求し、また他の動物種との比較を通して進化のプロセスにも迫っています。

マクロの解剖学では、人体のさまざまなパーツが研究対象になりますが、とくに力を入れて研究しているのは上肢と下肢の骨格筋です。人体には650個ほどの骨格筋があって両端が骨格に付着し、日常生活の中では手で物をつかんだり立って歩いたり、さらにスポーツ競技では激しい動きと高いパフォーマンスを発揮します。スポーツや臨床の領域での運動学の進歩によって、骨格筋と腱の力学的特性や、筋収縮による力の骨格・関節に対する作用が注目されてきています。その一方で骨格筋の力学的特性に深く関わりのある起始腱・停止腱の正確な形状や筋線維の配置などについてこれまでの解剖学には十分な情報がなく、単離筋標本の分析など新しい手法を用いて骨格筋の機能解剖の研究に取り組んでいます。この他に、運動器領域の血管と神経など肉眼解剖学領域の幅広い研究を行っていますが、本講座が担当している医学部2年生の人体解剖実習がその基礎になっていることは、言うまでもありません。

解剖学が医学の歴史的な出発点であることから、解剖学史・医学史の研究も重要な研究領域になっています。歴史上の解剖学書の原典をもとに書かれた解剖学の歴史(坂井建雄『人体観の歴史』岩波書店2008)、現存する最古の解剖学書のギリシャ語原典からの翻訳(坂井建雄他『ガレノス解剖学論集』京都大学学術出版会2011)などの著書があり、日本医史学雑誌などに多数の原著論文を発表しています。また私は2017年から日本医史学会の理事長を務めています。

解剖学は美術と深い関係があり、東京藝術大学の美術解剖学研究室で解剖学を教えるなどさまざまな協力をしています。芸大の卒業生の人たちが当研究室の大学院で解剖学を深く学び、メディカル・イラストレーターとして活躍したり、美術解剖学を教えたり、さらに歴史上の解剖図についての研究もしています。

解剖学は単に医学の中の1つの学問領域ではなく、さまざまな形で社会と深いつながりを持っています。まず医療技術の進歩によって、多くの人たちが医学と人体に深い関心を持つようになっており、一般の人たちに向けて人体解剖学についての本が書かれ、多くの人たちが手に取るようになりました。また人体解剖のために遺体は献体によって頂戴していますが、最近ではとても多くの方たちが献体を申し出てくださっています。

当研究室が執筆・監修した基礎医学の教科書が多数あり、全国の数多くの医学生や医療系の学生に使われています。また一般向けの書籍や児童書も、社会に広く迎えられています。

当研究室の研究と活動はきわめて多彩ですが、そこには一本の筋が通っています。それは人間の身体を観察すること、その中に意味を見出して光を当てることです。それこそがまさに「解剖学」です。人体を見ることを極める解剖学の研究に、皆さんも参加しませんか。

坂井建雄