研究室の歴史

創設期

昭和19年4月に設立された順天堂医専における解剖学教育の実質上の主任は、東大助教授で順天堂の講師を兼任した小川鼎三であった。しかし実際に教育を担当したのは、耳鼻科を開業する池田脩三とそれを補佐する外科の医局員の小出敏治であった。その後、終戦前後や戦後の混乱の中も、医専は学生を集め、その学生たちに対して、東大解剖から人的な協力を仰ぎながら解剖学の授業が続けられた。講義は小川、池田、小出が担当し、組織実習には大内力(後の岡山大教授)と中井準之助(後の東大教授)、解剖実習には益田栄(後の順天堂教授)、補習教育には大江規玄(後の東大教授)が順天堂医専の解剖学教育に協力した。

椿宏治教授時代(1950-1972)

順天堂大学解剖学の初代教授である椿宏治は、昭和25年4月21日に就任した。椿教授の着任以後、教育スタッフとして小林治彦講師、小谷万寿夫講師が加わった。昭和29年からは、新設された体育学部の学生にも解剖学を教えることとなり、その実習も始まった。昭和31年3月に益田栄を迎えて解剖学第2講座が発足した。その時点での第1解剖の陣容は、教授に椿、講師に池田と小平英太郎であった。その後助教授には、小平、池田、藤井明らがいる。

淺見一羊教授時代(1972-1990)

昭和47年4月淺見一羊が解剖学第1講座担当教授に就任。講座の構成は、講師に安部國雄、非常勤講師として池田、助手に本間敏彦(後に講師)、村田一彰、小泉憲司、係員に伊藤正雄、井田勝弘、五十嵐弘一、大根田辰子がいた。のちに比較的短期間だったが、助手に上西雅江、小泉政啓、三浦真弘、助教授に斎藤紘昭が在職した。淺見は、平成2年3月に退職した。

坂井建雄教授時代(1990-)

淺見教授退職の後を受け、平成2年5月1日に東大助教授の坂井建雄が教授に就任した。新任に伴い研究室の若干の模様替えを行い、光学・電子顕微鏡を中心とした研究テーマに対応できる設備を充実させた。当初のスタッフは、助教授に斎藤紘昭(1991年に退職)、講師に本間敏彦(1993に助教授、1997年に死去)、助手に村田一彰(2005年に退職)、小泉憲司(2013年に退職)、係員に井田勝弘(2010年に退職)、五十嵐弘一(2013年に退職)、大根田辰子(1994年に退職)であった。

その後、教員としては小林直人(1991年に助手、1998年に愛媛大助教授に転出)、小泉政啓(1993年に岩手医大から講師、1996年に熊本大に転出)、宮木孝昌(1996年に日本医大から講師、2003年に東京医大助教授に転出)、澤井直(2003年に助手、2015年に医史学研究室に転出)、長瀬美樹(2014年に東大から准教授、2017年に杏林大教授に転出)、栗原秀剛(1999年に塩野義製薬から講師、2000年に助教授、2018年に藍野大教授に転出)が在職した。また技術職員として坂ノ上容子(2010年に技術員、2014年に退職)、河合孝(2013年に用務員、2014年に病理学講座へ転出)、中村友美(2013年に技術員、2017年に東京家政大助教に転出)、岡村太郎(2015年に技術員、2018年に日本大学付属高校教諭に転出)が、事務職員として仲濱紀久恵(1994年に係員、2011年に退職)、里川千絵(2011年に係員、2012年に退職)が在職した。

現在のスタッフは教員として工藤宏幸(1997年に岩手医大から助手、2003年に講師)、市村浩一郎(2001年に助手、2009年に准教授)、加藤公太(2014年に助手)、姉帯飛高(2018年に助手)、職員として鬼沢玲子(2012年に事務員)、木村直明(2017年に技術員)、川村そら(2018年に技術員)が在職している。